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ラグビーワールドカップ

ラグビー世界最強国決定戦。

1987年にニュージーランドとオーストラリアの共催で第1回大会が行われて以来、サッカー同様4年に1度の開催が続けられている。第2回大会からはIRB(Internatinal Rugby Board)により主催され、回を重ねるごとに規模を拡大し続けている。
第6回となる2007年大会では220万の観客を動員し、テレビ視聴数は全世界で42億。これはFIFAワールドカップや夏季五輪に次ぐ、スポーツイベントとしては世界第3位の規模となる。

次回の2011年はニュージーランド、2015年はイングランド、そして2019年大会は日本で開催されることが決まっている。

優勝国には、ラグビー誕生の瞬間と伝わる、はじめてサッカーボールを持って走った少年の名を冠した「ウェブ・エリス・カップ」が贈られる。

2011年大会に向けた予選

scrum第1回大会では「予選」は行われず、IRBオリジナル中の7ヶ国(南アは除外)に加え9ヶ国を「招待」して行われた。
第2回大会以降、IRBに主催が移ってから、予選大会が行われるようになる。その方法は毎回のように少しずつ変わるが、大きく言えばサッカーなどと同様に大陸による勝ち上がりになる。

ここでは、来る2011年ニュージーランド大会予選の方法を確認しておきたい。
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ラグビーワールドカップ 大会ルール (予選リーグ)

予選プール大会は、大きく予選リーグと決勝トーナメントの2部に分かれている。
予選リーグではAからDまでの4つのプールに5チームずつが分かれ、総当りのリーグ戦を行う。順位はボーナスポイントシステムで競われ、勝敗の他にトライ数や得点差によってもポイントが得られる。

上位2チームが決勝トーナメントへ進出。
上位3チームには次回ワールドカップへの優先出場権が与えられる。

ボーナスポイントシステムについての詳細は、次の通り。
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ラグビーワールドカップ 大会ルール (決勝トーナメント)

wc_ko_image予選リーグを勝ち上がった8チームは、ノックアウト・マッチとも呼ばれる決勝トーナメントへ歩を進める。準々決勝、準決勝、そして決勝を目指し、サバイバルマッチに突入する。
ここへ来ると最早ボーナスポイントは関係なく、対戦相手を倒して勝ち進むことのみが、栄冠へと近づく道になる。

そのため、予選リーグと異なり「引き分け」が存在しない。タイムアップ時点で同点だった場合、延長戦などキッチリと勝敗をつけるためのルールがまた登場する。
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2011年 第7回 ニュージーランド大会

ラグビーワールドカップ
2011年大会

7回目となる大会は、ニュージーランドがホスト国となる。オーストラリアとの共催だった第1回以来(2003年が豪州単独になったため)の開催国で、やはりそれ以来となる悲願の優勝を狙う。

実はこの大会、ギリギリまでホスト国として日本が最有力視されていたのだが、逆転でニュージーランドに決まっている。右肩上がりに巨大化していくワールドカップの開催には費用や国のインフラなどで大きな負担がかかるため、これ以上後の大会になるとニュージーランドで開催することが不可能になるという理由があったと噂されるが、事実今大会であってもアコモデーションや交通でかなりの混乱が予想される。

出場は20カ国。日本もアジア・ファイブネイションズで優勝し、7大会連続の出場を決めている。開催国ニュージーランド・オールブラックスと同プールとなっており、第3回大会での145-17という歴史的大敗以来の対戦が待ち受ける。他には前回大会で奇蹟の同点に持ち込んだカナダ、パシフィック・ネイションズで何度も対戦しているトンガ、エリサルドの元で一時はジャパンが目指そうとしたシャンパン・ラグビーを標榜するフランスなどと同プールになっている。

大会は2011年9月9日(水) 現地時間20:30のニュージーランドvsトンガを開幕戦として、約2ヶ月間行われる。

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2007年 第6回 フランス大会

Rugby World Cup 2007
スプリングボックス キャプテン
John Smit

6度目のW杯は、英仏の熾烈な招致合戦の末にフランスで開催された。過去2度の欧州開催は「ファイブネイション共催」の色合いが強かったが、今回は48試合中43試合が開催国で行われ、名実共に「フランス大会」であった。

そのフランスは過去2度の決勝進出も、いずれも準優勝。自国開催での悲願達成に燃えていた。しかし開会式直後のオープニングゲームで、今大会の台風の目となるアルゼンチンに敗れてしまう。
奇しくもこの組み合わせは、大会最終日前日の3位決定戦で再度行われる。そしてフランスは再び完敗を喫し、メダルにも届かずに終わってしまった。

エリス杯を掲げたのは南アフリカ・スプリングボックス。
ディフェンディング・チャンピオンながら完全にダークホースだったイングランドを予選プールに続いて退け、95年以来2度目となる優勝を果たした。
得点王パーシー・モンゴメリー(Percy Montgomery)、トライ王ブライアン・ハバナ(Bryan Habana)と共に南ア。第1回のニュージーランド以来となる完全制覇で、安定した強さを見せた。

日本はカナダとのプール最終戦、ラスト1プレーでトライを奪い2点差とすると、肋軟骨骨折をおして出場している大西が難しいコンバージョンを決めて同点に追いつき、ワールドカップでの連敗を13で止めた。

順位
優勝 南アフリカ共和国
準優勝 イングランド
3位 アルゼンチン

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2003年 第5回 オーストラリア大会

Rugby World Cup 2003
イングランド キャプテン
Martin Johnson

ワールドカップの賜杯は、第5回にして遂に盟主イングランドの頭上に掲げられた。

当初、初回同様にオーストラリアとニュージーランドの共催となる予定であったが、権利問題で折り合いがつかず、豪州の単独開催となった。結果として、前回のウェールズ大会と比べてトータルの会場キャパシティは小さくなってしまった。

決勝はディフェンディング・チャンピオンでありホスト国であるオーストラリアと、ラグビー発祥の地であるイングランド。一進一退の攻防はロースコアのまま延長戦にもつれこむが、最後は英ジョニー・ウィルキンソンのドロップゴールにより勝敗は決した。
これは北半球勢による初優勝。ウェブ・エリス杯はようやく、生まれ故郷である英国の地を踏むこととなった。

今大会予選参加国は拡大を続けて81ヶ国。本戦参加国は前回同様の20ヶ国だが、5プールx4ヶ国であったものから、4プールx5ヶ国となった。そのためか予選プールでは今まで以上に強豪国との差が開くゲームが目立つようにもなり、ラグビーの世界規模での普及と強化のバランスという構造的な問題が改めて浮き彫りになる大会となった。

順位
  優勝 イングランド
  準優勝 オーストラリア
  3位 ニュージーランド

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1999年 第4回 ウェールズ大会

WorldCup 1999 John Eales
ワラビーズ キャプテン
John Eales

プロフェッショナル・ラグビー時代を迎えて最初のワールドカップとなった第4回大会は、オーストラリア・ワラビーズの優勝で幕を閉じる。2度目の戴冠は史上初。ウェブ・エリス杯は、またしても南半球に留まることとなった。

今まで南、北、南と移されてきた開催地は、順番通り北のウェールズとなる。しかし実際にウェールズで行われた試合は、41試合中わずか9試合。それ以外はイングランド、アイルランド、スコットランド、フランスなどで行われ、実質的には第2回大会同様のファイブネイションズによる共催であった。
ウェールズは£126,000,000(約1,800億円)をかけて建設したMillennium Stadium(ミレニアム・スタジアム)で開幕戦と決勝戦を含む7試合を行ったが、ホスト国としては初めて決勝進出を逃す準々決勝敗退。どことなく盛り上がりに欠ける大会を演出してしまうことになった。

大会予選参加は、過去最多の65ヶ国。前回大会のトップ3およびホスト国ウェールズの4枠のみが自動出場であったため、優勝するオーストラリアを含めた多くの強豪国が予選を戦った。ビッグ8による独占から、裾野の開かれたプロ化時代の新しいラグビーを目指す姿勢を見せたともとれるが、いかんせんラグビー大国の実力差は大きく、形だけの予選といった趣になってしまったことは、現在まで続くジレンマとなっている。

トライ王は、前回大会に続いての怪物・ロムー。大会前には安定感のあるジェフ・ウィルソンや新鋭タナ・ウマガの影に隠れがちであったが、大舞台で決して消すことの出来ない強烈な光彩を放った。

順位
優勝 オーストラリア
準優勝 フランス
3位 南アフリカ共和国

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1995年 第3回 南アフリカ共和国大会

Rugby World Cup 1995

スプリングボックス キャプテン
Francois Pienaar
トロフィーを渡すMandela大統領

アパルトヘイトの撤廃と共に初めて参加が許された南アフリカ共和国によって主催された第3回大会は、その南ア・スプリングボックスが優勝した。
アパルトヘイトの闘士ネルソン・マンデラ大統領がスプリングボックスのジャージを着用して行ったトロフィー授与は、スポーツ史における最も偉大な瞬間の1つとして記憶されている。

この大会は初の1ホスト国による開催であり、そしてまたアマチュアスポーツとして最後のラグビーワールドカップでもあった。この2ヵ月後、IRBはプロフェッショナルスポーツとしてのラグビーに門戸を開く。

決勝戦は、影の最強国と恐れられていた初参加の地元・南アフリカと、怪物・ジョナ・ロムー(Jonah Lomu)を擁するニュージーランド。
予想外にロースコアとなった試合は、両チーム共にトライは無し。終了間際にニュージーランドのSO アンドリュー・マーテンス(Andrew Mehrtens)がドロップゴールを狙うが惜しくも外れ、9-9のまま試合はW杯史上初の延長戦に突入する。延長でもお互いにペナルティゴールを1つずつ決めただけの均衡した状態で進むが、スプリングボックスのSO ジョー・ストランスキー(Joel Stransky)によるこの日2本目のドロップゴールで勝敗は決した。

これで、ここまでの3大会の優勝国はニュージーランド、オーストラリア、南アフリカと全て南半球。翌年からはこの3ヶ国によるトライネイションズも始まり、ワールドラグビーの中心はもはやヨーロッパでは無いことを印象付けた。

順位
優勝 南アフリカ共和国
準優勝 ニュージーランド
3位 フランス

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1991年 第2回 イングランド大会

Rugby World Cup 1991
ワラビーズ キャプテン
Nick Farr-Jones

第2回ワールドカップは、初回の興行的成功を受けてIRBが運営に乗り出したはじめての大会でもある。
イングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランド、フランスの、いわゆる北半球ファイブ・ネイションズがホストをつとめた一大イベントであったが、ここでは便宜上「イングランド大会」としておきたい。(IRB宗主国としてリードをとり、決勝戦が行われたのもイングランドのTwickenhamであった)

本大会ではエリア別の予選も行われ、32のチームがシードされていない8つの椅子を争って戦った。本戦へは前回同様16ヶ国が出場。その頂点に立ったのは、南半球のオーストラリア・ワラビーズであった。
準々決勝ではアイルランドとの歴史に残る大激戦を最後の1分での逆転で制すると、準決勝ではその勢いで優勝候補の大本命であったニュージーランドを下し、オールブラックス連覇の夢を砕く。決勝では地元イングランドを退け、見事に初優勝を勝ち取った。

大会の序盤を沸かせたのは、第1回大会で招待から漏れた西サモア(現サモア)。緒戦でIRBオリジナルの一角・ウェールズを撃破し、今大会で優勝するオーストラリアにも肉迫。見事にウェールズを蹴落として予選リーグを突破し、前回大会に出場できなかった鬱憤を晴らした。

日本は、ジンバブエを大会最多の9トライを奪う猛攻で下し、はじめての(そして現時点では最後の)ワールドカップにおける勝利を飾っている。

順位
優勝 オーストラリア
準優勝 イングランド
3位 ニュージーランド

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1987年 第1回 ニュージーランド&オーストラリア大会

World Cup 1987 David Kirk
オールブラックス キャプテン
David Kirk

記念すべき最初のラグビーワールドカップは、ニュージーランドとオーストラリアの共催という形で開かれた。

出場16ヶ国の頂点に立ち最初の栄冠を掴んだのは、主開催国でもあるニュージーランド・オールブラックス。
やはりIRBオリジナルメンバーの強さが際立つ大会であったが、その中でもショーン・フィッツパトリック(Sean Fitzpatrick)やジョン・カーワン(John Kirwan)、グラント・フォックス(Grant Fox)、マイケル・ジョーンズ(Michael Jones)、ウェイン・バック・シェルフォード(Wayne 'Buck' Shelford)などのスター達を擁したオールブラックスの強さが群を抜いていた。

この大会には、南アフリカ共和国の悪しき人種隔離政策・アパルトヘイトが小さからぬ影を落としている。当の南アはIRBオリジナルメンバーでありながら大会へは不参加。また、招待国の1つであったソビエト連邦は南アがIRBから除名されないことに抗議して参加を拒否。(後述)
更に優勝したニュージーランドでは、主力選手の多くが大会直前に無断で南アへ遠征したために国内外から強い非難を受け、W杯への参加も危ぶまれていた。(詳しくは国別プロフィール(NZL))

観客は大会を通じて60万人ほどと現在とは比較にならないほど小規模な大会ではあったが、特にニュージーランド、オーストラリアにとっては「悲願」とも言えるワールドカップの開催は、ワールドラグビーにとって大きな一歩であった。

順位
優勝 ニュージーランド
準優勝 フランス
3位 ウェールズ

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