ラグビー ウェールズ代表 (レッド・ドラゴンズ)
| 世界ランキング | 8位 (2012-01-30) |
| ウェブサイト | http://www.wru.co.uk/ |
| 代表チーム | Red Dragons |
| 代表監督 | Warren Gatland |
国旗にも描かれるウェルシュ・ドラゴンを彷彿とさせる赤いユニフォームを身に纏うウェールズ代表は、イングランド・アイルランド・スコットランドと共に「ホームネイションズ」とも呼ばれる、ラグビー最古豪のひとつ。
伝統的な展開ラグビーで名を馳せた欧州の赤き竜は、2度の黄金時代に圧倒的な力で世界に君臨した。シックスネイションズでの優勝回数はイングランドの25回に次ぐ24度。しかし95年以降はプロ化の波もあり、有力選手の流出から低迷が続く。
ワールドカップでの成績は第1回の3位が最高。99年大会を主催するも準々決勝敗退と竜が目覚めることは無かったが、その後の再建策が徐々に功を奏し、2005年、2008年にはグランドスラムを達成するなど復調の気配も見える。
写真は少し古いユニフォームで、アンダー・アーマーが担当した2008年からはソックスがグリーンに変わっている。歴史的にもユニフォームの色は比較的頻繁に変更されており、協会設立125周年には黒いユニフォームも作られた。しかし基本的には強豪同士の対戦では赤を基調としたレッド・ドラゴンである。
現在の本拠地は、99年のワールドカップ開催に向けて造られた「ミレニアム・スタジアム」。74,500人もの収容人数を誇り、開閉式の屋根を備えた「ウェールズラグビーの聖地」を満たす「ランド・オブ・マイ・ファーザーズ」の大合唱は、まさに圧巻である。
最初の黄金時代
ラグビーがウェールズの地に伝わったのは1850年、Rowland Williams によるとされる。それから約30年後の1881年、ホームネイションズの中では最後に、ウェールズラグビー協会は設立された。この2年後には、後のシックスネイションズとなる「ホームネイションズ・チャンピオンシップ」が開催された。この大会でウェールズは、2戦して連敗。最下位に終わる。
しかし、ウェールズはホームネイションズ末席に甘んじることなく戦術に工夫を重ね、1890年代には遂にスリークォーターバックを4人にする近代ラグビーの基礎ともいえるフォーメーションを編み出した。これは従来のフォワード9人、バックス6人という編成では不可能な布陣であり、バックスを1人増やす非常に大胆なものであった。これにより1893年に、ウェールズは最初の優勝をトリプル・クラウンで果たす。
1900年より、レッドドラゴン最初の黄金時代が幕を開ける。1911年までの11年間で3度のトリプルクラウンと3度のグランドスラム(公式には1度)を含む7度の優勝。優勝できなかった年は全て2位と、圧倒的な力で欧州ラグビーを支配していた。
この間、1905年に “The Original” と呼ばれる最初のオールブラックスを迎え撃つ。これはウェールズにとってホームネイションズ以外と戦う初めての経験でもあった。このニュージーランドツアーは、欧州ラグビーにとって大きな衝撃であった。ラグビー発祥の地として、欧州最強が世界最強と信じて疑っていなかった欧州勢を、ニュージーランド代表は片端から薙ぎ倒していく。結局、黒衣の軍団は35戦して僅かに1敗と、英国のプライドをズタズタにして去っていった。この唯一の土をつけたのが、ウェールズである。既にイングランド、アイルランド、スコットランドを相次いでくだしていたオールブラックスとの対戦は大きな注目となっており、その試合前の「Haka」も知られていた。カーディフに集まった47,000のウェールズファンは、このHakaに対して “Hen Wlad fy Nhadau (Land of Our Fathers)” の合唱で返したという。これが、このアンセムが試合「前」に歌われた最初のことであると言われている。試合はウェールズが Teddy Morgan のトライで3点を先制。試合終盤にオールブラックスの Bob Deans がトライを返したかに見えたが、これはグラウンディングされていないとして無効。そのまま3-0でウェールズが勝利した。この試合に関わった両チームの選手は、あのトライが本当に無効であったかを何十年も(もはや笑いながら)メディアに語ることとなる。
1906年にはスプリングボックスと初対戦。しかしフォワード戦で圧倒され、期待に反して11-0で敗北を喫する。ワラビーズとは1908年に初顔合わせで、これは9-6で退けた。この1908年と翌1909年、ウェールズはホームネイションズに全勝して、フランスとのテストマッチにも勝利。非公式ながら「事実上のグランドスラム」を史上初めて達成した。
1910年にはフランスが正式にホームネイションズ・チャンピオンシップに参加。大会は「ファイブネイションズ」へ姿を変える。その年にはイングランドに敗れ優勝は逃すも、翌年には全勝優勝。公式にも最初のグランドスラム達成国となった。ここまでが一般に「最初の黄金時代」とされ、代表は徐々に力を落としていく。1913年にカーディフでイングランドに敗れ、ホームネイションズ相手に初のホームゲーム敗戦となる。1914年からは世界大戦が本格化し、世界はラグビーどころではなくなってしまった。
第2の(真の)黄金時代
それから半世紀以上を経て、眠れる竜は再び目を覚ます。1969年からの約10年が2度目の黄金時代であったが、この時のレッド・ドラゴンズは「ラグビー史上最強チームのひとつ」と呼ばれることもある豊穣の時代であった。”ザ・プリンス” Gareth Edwards をはじめ、 J.P.R.Williams、Gerald Davies、Barry John といった華やかなバックス陣が縦横に展開するペンドラゴンは、ラグビーの理想型とも言われた。
殊に北半球においてはまさに無敵で、10年間におけるファイブネイションズでの敗戦はわずかに5つ。特に最高のハイライトと言われるのは、1971年のグランドスラムであった。この時、ウェールズは4勝を16人の選手だけであげてしまう。スコットランド戦ではラストプレーまでリードを許すも、前のイングランド戦でも2トライをあげているウイング Gerald Davies のトライで1点差に迫る。右サイドの難しい位置から、この日ここまで3本全て失敗しているフランカー John Taylor のコンバージョンに勝敗は委ねられる。大きく弧を描いたボールがゴール中央を跨いだ時、そのキックは「聖パトリック以来最高のコンバージョン」などと讃えられた。(これは「コンバージョン」が「改宗」の意味も持つことから、多くの異教徒をキリスト教に改宗させた聖者の偉業になぞらえたもの)
また、この間のブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズにウェールズは過去最多のメンバーを輩出している。ウェールズ代表はこの期間においてもオールブラックスにはなかなか勝てなかったが、このライオンズは、ニュージーランド遠征でオールブラックスに勝ち越すことに成功している。これは2010年現在まで、ライオンズ史上唯一の快挙である。
1972年のファイブネイションズは、IRAとの政治的問題からウェールズとスコットランドがダブリンへの遠征を拒絶し、大会は無効となった。1976年、78年にも71年同様に16人でのグランドスラム。77年はフランスに優勝を譲るもトリプルクラウンは達成しており、79年の優勝とあわせて4年連続のトリプルクラウンは史上初のことである。
78年に “ザ・キング” Barry John に替わってフライハーフをつとめていた Phil Bennett と、スクラムハーフ Gareth Edwards が同時に引退。翌年もトリプルクラウンで優勝するも、チームの軸となるハーフ団の入れ替わりの影響は大きかった。黄金期を支えたスター選手達も、ほぼ時を同じくして相次いで代表を離れ、最強のペンドラゴンは再び眠りについた。
1987年 第1回 ニュージーランド&オーストラリア大会
1980年代に入ると圧倒的な支配力を誇ったレッド・ドラゴンズの猛威も影を潜め、ファイブネイションズで2勝をあげるのがやっとになってしまう。1983年には格下の日本代表と29-24の大接戦を演じるなど、かつての北半球絶対王者の面影は失われていた。
初のワールドカップイヤーとなる87年には、とうとうイングランドからあげた1勝のみ。「開催が10年前ならば」との嘆きすら聴こえる状態で本大会を迎えるが、ウェールズは意外な健闘を見せた。同年のファイブネイションズでも敗れているアイルランドを緒戦でくだすと、前年のパシフィックツアーで大乱闘をおこした因縁の相手トンガも撃破。カナダにも勝利して、プールトップで決勝トーナメントへ進出する。準々決勝でイングランドに勝利すると、準決勝の相手は開催国のニュージーランド。歴史的にもほぼ勝ったことの無い強敵に49-6と圧倒されるが、まだ3位決定戦が残されていた。
ここで立ち向かうのはオーストラリア。84年にカーディフで28-9と惨敗している相手で、しかも準開催国である。ワラビーズ圧勝というのが大方の予想であったが、開始早々ウェールズに僥倖が訪れる。試合開始1分でワラビーズにラフプレーで警告が与えられると、続く4分にラック内での危険な踏みつけから、フランカーの David Codey がレッドカードでの退場処分を受けてしまう。これにより、オーストラリアはほぼ全試合時間を14人で戦うはめになってしまった。
それでも地力に勝るワラビーズは、前半を15-13でリードして折り返す。後半も我慢を重ねながらジリジリと点を加え、終了間際の Lynagh のドロップゴールで21-16。苦しみながらも勝利は目前であったが、火竜の炎は最後のひと吹きを残していた。インジュアリ・タイムの5分、フライハーフ Jonathan Davies のハイパントは豪州22メートルラインへ。これを John Devereux がキャッチすると、ボールは即座にウイングの Ieuan Evans へリサイクルされる。セカンドファイブ Mark Ring からフルバック Paul Thorburn に渡ったパスは、左ウイング Adirian Hadley のトライへ繋がった。Thorburn のコンバージョンも決まり、試合を21-22とひっくり返す。
しかし残されていたラストワンプレー、今度はワラビーズが最後の猛攻を見せる。カウンターから残された14人全員が攻め上がり、ゴールライン目前までボールを運ぶ。ウェールズも必死のディフェンスでこれに応じ、最後の最後、ギリギリのところでワラビーズの攻撃をコーナーフラッグに押しやった。この瞬間に、ウェールズの3位が決定。オーストラリアの自滅に助けられた面もあったとはいえ、元王者のプライド迸る勝利であった。
| Pool-2 | ウェールズ |
13 | - | 6 | 1987-05-25 | |
| Pool-2 | ウェールズ |
29 | - | 16 | 1987-05-29 | |
| Pool-2 | ウェールズ |
40 | - | 9 | 1987-06-03 | |
| 準々決勝 | ウェールズ |
16 | - | 3 | 1987-06-08 | |
| 準決勝 | ウェールズ |
6 | - | 49 | 1987-06-14 | |
| 3位決定戦 | ウェールズ |
22 | - | 21 | 1987-06-18 |
1991年 第2回 イングランド大会
前回大会での健闘も王者復活とはならず、ウェールズラグビーはむしろ低迷していく。1990年には初のファイブネイションズ全敗という屈辱を受け、続く91年にもアイルランドと引き分けただけの3敗1分で連続最下位。全く気勢の上がらぬワールドカップ突入となった。
この第2回大会は公式にはファイブネイションズ共催であり、したがってウェールズも開催国の一部であった。しかし緒戦でワールドカップ初参加の西サモアに、いきなりキツい洗礼を浴びる。前回のような成績は難しいと思っていた地元ファンも、これにはショックを受けた。続くアルゼンチンには辛くも勝利するも、前大会3位決定戦で激戦を繰り広げたオーストラリアにはノートライで惨敗。予選プール敗退という覚悟していた以上の惨めな成績でワールドカップを終えることとなってしまう。
| Pool-C | ウェールズ |
13 | - | 16 | 1991-10-06 | |
| Pool-C | ウェールズ |
16 | - | 7 | 1991-10-09 | |
| Pool-C | ウェールズ |
3 | - | 38 | 1991-10-12 |
1995年 第3回 南アフリカ共和国大会
どん底の状態から恢復しつつあるウェールズは、94年のファイブネイションズで久々の優勝を飾る。ところがワールドカップイヤーである95年には一転して4戦全敗の最下位。またしても不安な状態で迎えたワールドカップは、その予感そのままの結果に終わることになる。
プール緒戦で日本を57-10と圧倒するも、この時の日本は、後にオールブラックスの2軍に145-17で大敗するレベルのチームであり、決してウェールズの好調を示すようなものではなかった。そのオールブラックスにはノートライで完敗。最後のアイルランド戦に2大会ぶりの決勝トーナメント進出が賭けられることになったが、これも1点差で届かず。2大会連続でプール敗退という非常事態に陥った。
| Pool-C | ウェールズ |
57 | - | 10 | 1995-05-27 | |
| Pool-C | ウェールズ |
9 | - | 34 | 1995-05-31 | |
| Pool-C | ウェールズ |
23 | - | 24 | 1995-06-04 |
1999年 第4回 ウェールズ大会
続く低迷期に迎える、自国開催のワールドカップ。これ以上の醜態をさらせないウェールズはチーム再建のため、1998年にこの時点での世界最高額となる £250,000 でニュージーランドより Graham Henry をヘッドコーチとして招聘する。
Henry は代表を一度まっさらにしてから、数カ月をかけて徐々にチーム作りを進めていった。実績の乏しい若手も積極的に起用した新チームは、最初のファイブネイションズでスコットランドにいきなり惨敗する。しかし改革をはじめたばかりの首脳陣は慌てなかった。連敗の後、フランスとの激戦を33-34の紙一重で制したあたりから、強化の方向性についても自信がもたれはじめる。この勝利はウェールズにとって20年以上遠ざかっていたパリでの勝利であり、フランスにとっても新スタジアム Stade de France での初めての敗戦という、価値あるものであった。続くイングランドにも32-31と、またしても1点差での勝利を収め、彼らのグランドスラムと優勝を同時に打ち砕いた。
ワールドカップ開催に向けてのもうひとつの大きな準備は、新スタジアムの建設であった。「ミレニアム・スタジアム」と名付けられた巨大スタジアムのこけら落としは、1999年6月26日にワールドカップチャンピオン・南アフリカを迎えて行われた。試合はウェールズが29-19で見事に勝利。これは史上初(そして2010年5月時点までで唯一)のスプリングボックスからの勝利であった(但し、この試合はエキシビジョン扱い)。ここに至り、ヘッドコーチ Graham Henry の手腕はウェールズメディアより “the Great Redeemer”(偉大なる救助者) と讃えられるようになる。
連戦連勝で迎えたワールドカップ、開催国であるウェールズは、プール戦の方式を大幅に変更した。従来4つであったプールを5つに増やし、準々決勝進出をかけたプレーオフを挟むというものである。この不必要に複雑と思える大会方式は非難を浴びたが、特にそれはウェールズが強敵との対戦を避けるためのものではないかとの憶測があったために強く増した。事実、ウェールズの相手は前回大会トップ8に入った西サモアが最高位の楽な組み合わせなのである。
緒戦でアルゼンチンをなんとか下すと、日本にも完勝。順当に勝ち星を重ね、12年ぶりのプール突破をほぼ手中にした。チームの国際試合連勝は気がつけば10にまで届き、これはウェールズラグビー史の記録であった。しかし、サモアとの最終戦で91年に続いての敗戦。サモアがアルゼンチンに敗れていたため、得点の差でなんとかトップ通過は果たしたものの、「王者の復活」とは言い難い勝ち様であった。オーストラリアとの準々決勝では、為す術無くノートライで敗退。開催国ながら、ほぼ何の見せ場もないまま敗退が決まった。
| Pool-4 | ウェールズ |
23 | - | 18 | 1999-10-01 | |
| Pool-4 | ウェールズ |
64 | - | 15 | 1999-10-09 | |
| Pool-4 | ウェールズ |
31 | - | 38 | 1999-10-14 | |
| 準々決勝 | ウェールズ |
9 | - | 24 | 1999-10-23 |
2003年 第5回 オーストラリア大会
前回大会に続き Graham Henry 体制でワールドカップを目指していたウェールズであるが、イタリアを加えてシックスネイションズとなった大会でも思ったような結果は残せず、成績はむしろ下がっていった。そして遂に2002年、Henry がニュージーランドから招聘した選手の代表資格詐称疑惑や成績不振の責任をとる形で、コーチ交代となる。
ワールドカップ直前での大異動は良い方に転ぶことはなく、2003年のシックスネイションズもイタリアにまで敗れる5戦全敗で本大会を迎える。プール戦ではオールブラックスに敗れるが、一時はリードを奪う善戦を見せ、2位で2大会連続の決勝トーナメント進出を果たす。準々決勝では、この大会で優勝することになるイングランドに力負けするが、直前のテストマッチで9-43で惨敗していることを思えば健闘と言えよう。
| Group-D | ウェールズ |
41 | - | 10 | 2003-10-12 | |
| Group-D | ウェールズ |
27 | - | 20 | 2003-10-19 | |
| Group-D | ウェールズ |
27 | - | 15 | 2003-10-25 | |
| Group-D | ウェールズ |
37 | - | 53 | 2003-11-02 | |
| 準々決勝 | ウェールズ |
17 | - | 28 | 2003-11-09 |
2007年 第6回 フランス大会
新コーチ Mike Ruddock の元で若手中心に戦った2003年のメンバーが育ち、2005年にウェールズはシックスネイションズとなってから初の優勝を全勝で飾る。ファイブネイションズ時代から数えても94年以来11年ぶり、グランドスラムは第2期黄金時代の78年以来となる、実に32年ぶりの快挙であった。しかし同年、オールブラックスをミレニアムスタジアムに迎えての試合は41-3で惨敗。フィジーに辛勝、南アに敗戦、ワールドカップ王者オーストラリアに勝利と、若いチームらしく浮き沈みのある戦いぶりであった。
2006年2月、シックスネイションズ最中にヘッドコーチ Ruddock が家族の問題を理由に突然の辞任。Scott Johnson が一時的に後任となる。しかし動揺するチームは前年の栄光から一転して5位と沈む。大会後に Gareth Jenkins をコーチに迎えての再出発となるが、2007年も5位と、上向いたかに見えたレッドドラゴンズは再び下降線を辿る。
フランス大会では、プール戦でオーストラリアに敗北。最終戦でフィジーにも敗れ、3大会ぶりのプール敗退となってしまった。この結果を受けて Jenkins 体制も短命で終了。2002年以降早くも6人目のコーチとなるニュージーランド出身で元オールブラックス(テストキャップは無し)の Warren Gatland に、ウェールズ再生は委ねられた。
| Pool-B | ウェールズ |
42 | - | 17 | 2007-09-09 | |
| Pool-B | ウェールズ |
20 | - | 32 | 2007-09-15 | |
| Pool-B | ウェールズ |
72 | - | 18 | 2007-09-20 | |
| Pool-B | ウェールズ |
34 | - | 38 | 2007-09-29 |
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