ラグビー アメリカ合衆国代表 (イーグルス)
| 世界ランキング | 17位 (2012-01-30) |
| ウェブサイト | http://www.usarugby.org/ |
| 代表チーム | The Eagles |
| 代表監督 | Eddie O'Sullivan |
| 14 | 71.09 | |
| 15 | 70.45 | |
| 16 | 68.78 | |
| 17 | 65.63 | |
| 18 | 63.98 | |
| 19 | 61.24 | |
| 20 | 60.54 |
スポーツ大国アメリカにおいて、ラグビーの地位は、どう贔屓目に見てもマイナースポーツである。世界のラグビー界から見ても、その存在感は決して大きくは無い。しかし、特にプロフェッショナル時代に入ってからは、もちまえの懐の深さでコーチ陣や練習環境などを整え、徐々に侮れない存在になってきている。
ワールドカップには、第3回を除く5大会に出場。勝利は僅かに2つだが、それは共に日本からである。しかし2003年大会ではフィジーと1点差、2007年大会でもサモアに4点差で惜敗するなど、世界トップクラスとの距離を縮めつつある。
なお、日本との戦績はこのワールドカップの2試合を含めて2010年6月時点で米国の12勝5敗1分(最新対戦成績)と大きく日本が負け越している。世界ランクは上に立っているが、日本にとって乗り越えなければならない壁のひとつでもある。
選手のバックグラウンド
多くのラグビー伝統国において多くのトップ選手がタグラグビーなどで子供の頃からラグビーに親しんでいるのと対照的に、アメリカでは代表選手の多くが大学や社会人になってから、ラグビーを始めている。その多くはアメフト、バスケットボール、ベースボール、アイスホッケーなどのプレー経験を持つ。
これは言い方は悪いが、他のスポーツから「ドロップアウトした」選手達であるとも言える。アメリカの学生アスリートは高校を堺にプロ入りをするか競技をやめる選手が殆どの中、大学までアマチュアスポーツを続けて世界への夢を追い続ける数人の選手が、ラグビーと出会うパターンが多いようだ。そのため、総じてアメリカ代表選手は他国に比べて圧倒的にラグビー経験が少ないと言える。
しかし、それは身体的能力が劣ることを即座に意味するわけではない。能力や性格が、例えばアメリカンフットボールには合わなくても、ラグビーでは大いに活かされるということもあるだろう。例えばアメリカ代表最多キャップを持つ Luke Gross も、大学まではバスケットボール選手であった。ラグビーを始めたのは、実に24歳になってからであったという。
近年は資金力を背景にオールブラックス戦の国内招致なども画策している。FIFAワールドカップ、夏季五輪に次ぐ大きなスポーツイベントになったラグビーワールドカップに米国が本気になる日が来れば、ワールドラグビーの勢力図も大きく塗り替えられることになるかもしれない。
国内リーグ “Rugby Super League”
海外ではあまり知られていないが、米国国内にもラグビーのプロリーグが存在する。”Super League” と呼ばれるそれは、ラグビーのプロ化解禁に逸早く対応して1996年に開始された。(日本のトップリーグは2003年から)
当初は14チームで始まり、一時は18チームまで増えたが、2010年からは14チームを7チームずつに分け、Red Conference (西地区) と Blue Conference (東地区) という編成に再構築された。
選手の中には欧州や南半球のクラブチームでプレーする者もいるが、ほとんどの代表選手はこの Super League で頭角を表したものの中から選ばれる。
オリンピック
アメリカといえば、オリンピックである。ラグビーもかつては五輪種目であった。アメリカは1920年の夏季オリンピックに出場を表明する。
ところが、米五輪協会はラグビーの支援に非常に消極的であった。彼らは「ラグビーがプレーされているのはカリフォルニア州だけであり、米国全土を代表するスポーツとはいえない。チームが米国代表であることは認可するが、資金援助は一切行わない」と発表する。選手達はなんとかアマチュア選手協会から支援をもらい、カリフォルニアから遠く離れたベルギー・アントワープまで船に乗り、列車に乗り換え、たどり着くことが出来た。出場を予定していたチェコスロヴァキアとルーマニアは既に辞退しており、結局参加国は米国とフランスの2チームだけであった。そして驚くべきことに、イーグルスは 8-0 で勝利してしまう。
フランスチームにとってはまさかの敗戦であったが、彼らはその結果というより、実際に戦った相手の強さに驚かされた。彼らは米国にそのまま欧州ツアーを行うよう薦める。誘われるままに欧州で4試合を戦ったアメリカは、3勝をあげて帰国していった。
続く1924年のパリ五輪、フランスは雪辱に燃えていたが、米ラグビー協会は事実上消滅していた。国内でアメリカン・フットボールの人気が急激に高まっており、ラグビーをプレーする選手がいなくなっていたのである。しかし地元開催のオリンピックで前回覇者を倒したいフランスはアメリカに参加を要請。急遽オリンピック代表チームが作られることになった。しかし、またしても米五輪協会の資金援助は受けられない。4年前の金メダルメンバーのうち7人が久しぶりにラグビーシューズを引っ張り出し、篤志家などから2万ドルを集め、一度もラグビーをプレーしたことのないアメフト選手を何人かかき集め、なんとかチームの体裁を作って渡英した。まずは練習試合のためであったが、この4試合には当然の如く全敗した。
大会参加は、今度はルーマニアを加えた3カ国。緒戦でフランスがルーマニアを 61-3 で下すと、米国も 37-0 で完勝。再び米仏の決勝戦となった。そして、今回もまた米国は 3-17 で勝利してしまう。地元フランスの引き立て役となるはずであった急造チームが、史上唯一の五輪で2度の金メダルを獲得したチームとなってしまったのだ。
この大会をもって、ラグビーは五輪種目から姿を消す。そして米国ラグビーの微かな火も、同時に消えてしまった。次に米国ラグビーが復活するのは、実に約半世紀後の1975年である。もし五輪種目として継続されていれば、もしかすると米国ラグビーの発展は、全く違った歩みを見せていたかもしれない。
ラグビー界の「眠れる巨人」として、そのポテンシャルを恐れられているイーグルス。お家芸である五輪種目にセブンスとはいえラグビーが復活したことは、その目覚めの時が近づいているということかもしれない。ある専門家は、2015年のワールドカップではアメリカは決勝トーナメントの上位に入り、2019年には優勝を狙える位置まで行っているだろうと予測している。
1987年 第1回 ニュージーランド&オーストラリア大会
| Pool-1 | アメリカ合衆国 |
21 | - | 18 | 1987-05-24 | |
| Pool-1 | アメリカ合衆国 |
12 | - | 47 | 1987-05-31 | |
| Pool-1 | アメリカ合衆国 |
6 | - | 34 | 1987-06-03 |
1991年 第2回 イングランド大会
| Pool-A | アメリカ合衆国 |
9 | - | 30 | 1991-10-05 | |
| Pool-A | アメリカ合衆国 |
6 | - | 46 | 1991-10-08 | |
| Pool-A | アメリカ合衆国 |
9 | - | 37 | 1991-10-11 |
1999年 第4回 ウェールズ大会
| Pool-5 | アメリカ合衆国 |
8 | - | 53 | 1999-10-02 | |
| Pool-5 | アメリカ合衆国 |
25 | - | 27 | 1999-10-09 | |
| Pool-5 | アメリカ合衆国 |
19 | - | 55 | 1999-10-14 |
2003年 第5回 オーストラリア大会
| Group-B | アメリカ合衆国 |
18 | - | 19 | 2003-10-15 | |
| Group-B | アメリカ合衆国 |
15 | - | 39 | 2003-10-20 | |
| Group-B | アメリカ合衆国 |
39 | - | 26 | 2003-10-27 | |
| Group-B | アメリカ合衆国 |
14 | - | 41 | 2003-10-31 |
2007年 第6回 フランス大会
| Pool-A | アメリカ合衆国 |
10 | - | 28 | 2007-09-08 | |
| Pool-A | アメリカ合衆国 |
15 | - | 25 | 2007-09-12 | |
| Pool-A | アメリカ合衆国 |
21 | - | 25 | 2007-09-26 | |
| Pool-A | アメリカ合衆国 |
15 | - | 64 | 2007-09-30 |









