ラグビー イタリア代表 (アズーリ)
| 世界ランキング | 12位 (2012-01-30) |
| ウェブサイト | http://www.federugby.it/ |
| 代表チーム | Azzurri |
| 代表監督 | Nick Mallett |
| 9 | 76.63 | |
| 10 | 76.20 | |
| 11 | 75.81 | |
| 12 | 73.99 | |
| 13 | 72.92 | |
| 14 | 71.09 | |
| 15 | 70.45 |
イタリアは、欧州シックスネイションズに参加するIRBトップティアのひとつ。
最強国集団ではあるが、シックスネイションズへの加入は2000年と最近のこと(それまでは「ファイブネイションズ」であった)で、まだまだ先行する5ヶ国とは距離がある。とはいえルーマニアやグルジア、ポルトガルといった次集団よりはやはり格上であり、欧州でも実力的にやや浮いた存在となっている。近年はシックスネイションズでも勝利数が増えており、本当の意味で最強国の一角となるべく戦っている。
ワールドカップにおいても初回から参加を続けているが、常に1~2勝をあげるもののプール戦の壁を破ることは果たせずにいる。状況を打破するためにも2015、2019年のワールドカップ開催国に立候補するが、共に失敗してしまった。
ユニフォームはサッカーなど他のイタリアスポーツと同様の水色。その色から、やはりラグビーでも「アズーリ」の愛称で呼ばれる。
歴史
1929年5月にスペインと初のテストマッチを行い、9-0で敗れる。
1934年のFIRA(Fédération Internationale de Rugby Amateur)設立に加わり、フランス、スペイン、カタロニア、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ドイツと欧州チャンピオンシップシリーズを開始した。しかし、シリーズはいち早くホームネイションに戦いを挑んでいたフランスに支配され、イタリアはルーマニアと2番手を争うような位置であった。
第2次世界大戦による中断後も状況はなかなか変わらなかったが、1970年代に入り国内リーグで David Campese や Naas Botha といった海外の大物選手がプレーするようになってくると、活気がではじめる。代表チームは伝統的にヘッドコーチを海外に求めてきていたが、特に南アフリカから招いた Amos Du Plooey の元で多くの強豪国へ積極的にツアーし、強化が進んだ。
80年代に入り、フランスやスコットランド、ウェールズ、アイルランドなどにテストマッチで勝利を得るようにもなってきたことから、ファイブネイションズへの加入が検討されはじめる。87年にはじめられることになったラグビーワールドカップは、世界にイタリアの存在感を示しファイブネイションズ入りをアピールする絶好の機会であった。
1987年 第1回 ニュージーランド&オーストラリア大会
そうして迎えた第1回大会であるが、その記念すべき開幕戦を主催国のニュージーランドと戦うこととなった。自国開催で初代チャンピオンの栄誉に燃える最強国を相手に、イタリアはワンサイドの惨敗を喫する。なお、この試合で「オールブラックス史上最高」とも言われる90m独走トライをあげた John Kirwan が、後にイタリアを率いてワールドカップに挑むこととなる。
イタリアは結局、最終戦でフィジーに辛勝するもプール戦3位で敗退した。
| Pool-3 | イタリア |
6 | - | 70 | 1987-05-22 | |
| Pool-3 | イタリア |
16 | - | 25 | 1987-05-28 | |
| Pool-3 | イタリア |
18 | - | 15 | 1987-05-31 |
1991年 第2回 イングランド大会
前回王者ニュージーランドと、宗主国にしてメイン開催国であるイングランドという、非常に厳しい組み合わせに入れられてしまう。
緒戦をアメリカに勝利するも、強豪2つにはやはり連敗で敗退。しかし前回64点差で敗れたオールブラックスに21-31と肉迫し、意地を見せた。
| Pool-A | イタリア |
30 | - | 9 | 1991-10-05 | |
| Pool-A | イタリア |
6 | - | 36 | 1991-10-08 | |
| Pool-A | イタリア |
21 | - | 31 | 1991-10-13 |
1995年 第3回 南アフリカ共和国大会
3度目のワールドカップも、緒戦の西サモアに惨敗した時点で終戦と思われた。ところが続くイングランドに20-27と冷や汗をかかせる。最終戦ではアルゼンチンを振り切り、またしても予選敗退も存在感を示した。
| Pool-B | イタリア |
18 | - | 42 | 1995-05-27 | |
| Pool-B | イタリア |
20 | - | 27 | 1995-05-31 | |
| Pool-B | イタリア |
31 | - | 25 | 1995-06-04 |
1999年 第4回 ウェールズ大会
1997年に史上はじめてフランスを40-32で倒すと、翌年にはスコットランドに25-21で勝利。更にイングランドとも接戦を演じ、23-15で敗れるも大いにスタジアムを沸かせた。
勢いに乗って挑んだワールドカップに初の決勝トーナメント進出をかけるが、プール戦はまたしてもイングランド、ニュージーランドと同組になってしまう。緒戦で全開のイングランドに大敗すると、大舞台で異様な集中力を発揮するトンガにも敗れ、完全にモチベーションを失った最終戦はオールブラックスに100点ゲームを演じられてしまう。
最も期待を込めて挑んだ大会は、初のゼロ勝で終わった。
| Pool-2 | イタリア |
7 | - | 67 | 1999-10-02 | |
| Pool-2 | イタリア |
25 | - | 28 | 1999-10-10 | |
| Pool-2 | イタリア |
3 | - | 101 | 1999-10-14 |
2003年 第5回 オーストラリア大会
2000年に念願のファイブネイションズ入りを果たすも、当然のごとく惨敗が続く。イタリアラグビー協会は、2002年からニュージーランドの英雄 John Kirwan をヘッドコーチとして招聘した。
多くの若手を積極的に登用して挑んだワールドカップで、イタリアはまたしてもニュージーランドと対面する。コーチ Kirwan の祖国である。注目の一戦は、やはり地力に勝るオールブラックスの圧勝に終わった。
しかし、続くトンガ戦で全開の雪辱を果たすと、カナダにも連勝。ワールドカップで初めての2勝目をあげ、プール戦突破に期待が高まった。最後はウェールズの粘りに届かず涙を飲んだが、世界トップとの距離が少し縮まった感を与えた。
| Group-D | イタリア |
7 | - | 70 | 2003-10-11 | |
| Group-D | イタリア |
36 | - | 12 | 2003-10-15 | |
| Group-D | イタリア |
19 | - | 14 | 2003-10-21 | |
| Group-D | イタリア |
15 | - | 27 | 2003-10-25 |
2007年 第6回 フランス大会
ワールドカップ後もイタリアの強化につとめた Kirwan であったが、2005年のシックスネイションズで全敗したのを機に解任される。彼はこの後、日本代表コーチとして招聘される。あの前後の日本代表の混迷を見れば、この時に Kirwan がフリーになっていたことは僥倖と言えよう。イタリアは Pierre Berbizier が率いていく。
ワールドカップイヤーのシックスネイションズ緒戦、イタリアはフランスに3-39で惨敗する。しかし続くワールドカップチャンピオン・イングランド戦は20-7と健闘。スコットランド戦では開始7分で3つのインターセプトを奪い21-0とリードすると、最終的に37-17で完勝する。
シックスネイションズ3戦目のウェールズ戦では、終盤にドラマが待っていた。ラスト2分でゴールを決め23-20とリードしたイタリアだが、試合終了間際にイタリアゴール付近でウェールズがペナルティを得る。ウェールズは審判の Chris White に残り時間を確認すると、10秒ということであった。逆転を狙うウェールズはタッチラインに蹴り出し、ラインアウトからのラストプレーに賭ける戦術を選ぶ。ところが、ウェールズが蹴り出したところでTMOから時間切れとの連絡が入り White は試合終了の笛を吹く。ウェールズの抗議も実らなかったが、時間が無いことがわかっていれば同点のPGを蹴るか、スクラムを選択しただろう。イタリアにとっては思わぬ形で、シックスネイションズ最高位がもたらされることとなった。
最終のアイルランド戦には敗れたものの、イタリアは4位を確保する。この結果は快挙として報じられ、イタリアの新聞 La Gazzetta dello Sport 紙は「To lose like this is beautiful (美しき敗戦)」と見出しをつけた。
大いに盛り上がって迎えたワールドカップであったが、またしてもニュージーランドと緒戦で当たる。これで6大会中5大会でニュージーランドと同組になり、そのうち3度が緒戦である。そしてイタリアは全敗。黒衣の軍団はアズーリの天敵となってしまったようだ。今回もイタリアは大差で敗れ、出鼻をくじかれる。
しかし続くルーマニア、ポルトガルには連勝。前回に続き最終戦にプール突破を託した。相手はシックスネイションズで下しているスコットランドである。緊迫した試合はイタリアが唯一のトライを奪うが、最後はスコットランド Chris Paterson の6本のPGに届かず、2点差で涙を飲んだ。
| Pool-C | イタリア |
14 | - | 76 | 2007-09-08 | |
| Pool-C | イタリア |
24 | - | 18 | 2007-09-12 | |
| Pool-C | イタリア |
31 | - | 5 | 2007-09-19 | |
| Pool-C | イタリア |
16 | - | 18 | 2007-09-29 |









