ラグビー グルジア代表 (レロ)
| 世界ランキング | 14位 (2012-01-30) |
| ウェブサイト | http://www.rugby.ge/ |
| 代表チーム | The Lelos |
| 代表監督 | Tim Lane |
| 11 | 75.81 | |
| 12 | 73.99 | |
| 13 | 72.92 | |
| 14 | 71.09 | |
| 15 | 70.45 | |
| 16 | 68.78 | |
| 17 | 65.63 |
グルジアは強豪ひしめく欧州にあって、1992年からIRB加入の新興国ながら2003年より3大会連続でのワールドカップ出場を果たしている。
チームの愛称は “The Lelos”。これはグルジアで古くから盛んな “Lelo burti” に由来する。
歴史的経緯から、フランス系の選手が多い。
Lelo Burti
単に “Lelo” とも呼ばれる、グルジア語で “Field Ball” を意味するスポーツ。
その発祥は非常に古く、かつては河川を挟んだ数kmに渡る広大なフィールドで、数十人の選手によりボールを奪い合うものであったという。細かいルールは不明だが、YouTubeに当時のものとおぼしき映像があったので、ご覧いただきたい。これは現在でも年に1度、シュクーティ村でイースターの日に行われるという。丈夫な皮の袋に砂とワインを詰め、重さ17kgものボールを作る。これを相手側の岸まで運んだ方が勝利となる。数十人の村の男たちが、もみくちゃにないながらボールを奪い合うその姿は、スポーツというより祭りの一種なのだろうと思わせる。試合後には牛1頭を料理して盛大に飲み食いし、ボールを村の墓地に供える。
この祭りを起源とした、よりスポーツ然とした競技も同様に「レロ」と呼ばれているようだ。長さ90-135m、幅60-90mのフィールドで1チーム15人で行うとのこと。ボールの重さは2.5kgと、本家の祭りには及ばないもののかなりの重量。ラグビーに非常によく似たルールということで、現にグルジア語で「トライ」は「Lelo」と呼ぶらしい。それらのことからラグビー代表も “The Lolos” と呼ばれる。ラグビーファンはスタジアムで応援する際、”Lelo, Lelo, Sakartvelo” と叫ぶ。これはつまり「トライ、トライ、グルジア」を意味する。
ワールドカップ出場まで
グルジアは1991年にソビエト連邦から独立。しかし国内で盛んな”Lelo”のためラグビー人気は高く、1928年から何度もIRBへの加盟を申し入れていた。グルジアラグビー協会(Georgia Rugby Union)が正式に発足したのが1964年。しかしそれはあくまでソビエト連邦ラグビー連合の一部としてであった。1988年にグルジア単独として初めて、セブンスの国際大会への参加を果たす。翌年には国際アマチュアラグビー連盟(FIRA)のツアーに参加して、ジンバブエとの初の15人制国際試合を16-3の勝利で飾る。1991年に「グルジア共和国」として独立しても暫くは政情不安や経済的事情から国際試合への参加は難しく、かろうじて隣国ウクライナとの練習試合が行われるのみであった。
1992年、ようやくIRBへの加盟が認められるて状況は良くなっていく。1997年よりフランス人コーチ Claude Saurel により近代ラグビーが注入され、チーム力は大きく飛躍する。彼は当初セブンスのコーチとして招聘されるが、その手腕が認められて1999年には代表のヘッドコーチへ就任。グルジアは強豪国へ肉薄する実力を着実につけていく。象徴的なのは1998年のワールドカップ予選、ルーマニアとの決勝戦に敗れたグルジアはトンガとの敗者復活へワールドカップ初出場を賭ける。ホーム&アウェイで行われたこの試合、ホームでの2戦目を28-27で勝利するも、初戦の37-6での敗戦を埋めることは出来ずに出場を逃してしまう。しかしワールドカップ常連のルーマニアやトンガと互角に出場を争ったことは、強い自信となった。
2003年 第5回 オーストラリア大会
2000年のヨーロピアン・ネイションズ・カップはルーマニアに続く2位。その翌年は最終戦で遂にルーマニアを下して全勝優勝を飾る。続く2001-02シーズンは再びルーマニアの後塵を拝す2位となるが、政治的に緊張関係の続くロシアとの対戦では65,000人の観衆を集めるなど国民的スポーツの地位を確固たるものとしている。そして同年、因縁のロシアとの対戦に2003年ワールドカップへの出場を賭けることになる。
このロシアとの一戦では、勝利したチームには自動的にワールドカップへの出場権が与えられる。そして敗れたチームは、敗者復活戦にまわるというものであった。暴動を恐れながらもナショナル・スタジアムに訪れた45,000の観衆と1,500万のグルジア国民がTVで見つめる中、グルジア代表は17-13で見事にロシアを下し、悲願の初出場を決める。
グルジアの入ったプールCは、イングランドと南アフリカという絶対的な強豪国が並んでいた。当然のごとく連敗するも、南アフリカ戦では善戦を見せる。そして初勝利を期待してウルグアイとのプール最終戦に臨むが、力及ばず。4戦全敗で初めてのワールドカップを終えた。
| Group-C | グルジア |
6 | - | 84 | 2003-10-12 | |
| Group-C | グルジア |
9 | - | 46 | 2003-10-19 | |
| Group-C | グルジア |
19 | - | 46 | 2003-10-24 | |
| Group-C | グルジア |
12 | - | 24 | 2003-10-28 |
2007年 第6回 フランス大会
欧州ではシックスネイションズに次ぐ実力を持つ強豪国となったグルジアは、2004-06シーズンのヨーロピアン・ネイションズ・カップでも準優勝。2大会連続のワールドカップ出場を果たす。
前回は大会直前にフランス出身の3選手が出場資格無しと見なされてチームを離れるなどのトラブルもあり、残念な結果に終わっている。今大会に雪辱を期すグルジアは、緒戦のアルゼンチン戦で前半を3-6で折り返す大健闘。最後は地力の違いから突き放されるも、存在感を見せた。続くアイルランド戦も4点差の惜敗。微妙なトライの取り消しと、3つのドロップゴールミスが無ければ、あわやと思わせる試合であった。ラスト5分をアイルランドゴール目前に攻め続け、会場は「Lelo, Lelo」のコールに包まれた。
そして3戦目、ナミビアを30-0の完封で下し、遂にワールドカップ初勝利をあげる。
| Pool-D | グルジア |
3 | - | 33 | 2007-09-11 | |
| Pool-D | グルジア |
10 | - | 14 | 2007-09-15 | |
| Pool-D | グルジア |
30 | - | 0 | 2007-09-26 | |
| Pool-D | グルジア |
7 | - | 64 | 2007-09-30 |
2011年 第7回 ニュージーランド大会
前回ワールドカップ前から始まっていたヨーロピアン・ネイションズ・カップ 2006-08 で、2001年以来の優勝を果たす。この大会は、グルジア近代ラグビーの父とも言える Claude Saurel が、宿敵ロシアのヘッドコーチに就任して最初の大会でもあった。Claude就任後最初の試合がグルジア戦という奇縁であったが、これを31-12で退けた。
更に続く2008-10シーズンでも、見事に連続優勝を果たす。この時の最終戦もロシアで、しかも勝利したチームが優勝という大一番であった。(この時のロシアヘッドコーチは、既に Claude では無かった) 試合は36-8の完勝。3大会連続の出場を決めた。









