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背番号「F」と「J」

1983年4月30日、John Player Cup の決勝戦は大いに盛り上がっていた。賜杯にあと一歩まで登りつめたのは Bristol と Leicester。イングランドを代表する2人の名フライハーフ Stuart Barnes と Les Cusworth を擁する両チームの対決に、国中が注目した。

これは現代であれば「No.10対決」とでも書かれるところかもしれない。フライハーフ(=スタンドオフ)の背番号が10であることは、ラグビーファンなら誰でも知る常識である。しかしこの日、2人が背中につけていたのは「10」ではなく、それぞれ “F” と “J” の文字であった。

ラグビーにおける背番号の歴史

そもそも、ラグビーでジャージの背中に番号をつけた最初の国際試合は、かの有名な1905年のウェールズ対ニュージーランドの一戦であるという記録があった。それまでも試合会場で配られるプログラムで選手名が紹介されてはいたが、実際に誰が誰であるかは、ラグビーに眼の肥えたファンはポジションで識別していたという。

しかし、一方でオールブラックスの記録では1903年のワラビーズとの試合で番号つきのパンフレット(右写真、クリックで拡大)が配られ、実際に背番号をつけてプレーする姿(下写真)も残されている。

また、国際試合に限らない最初に背番号を採用した試合は、1897年にブリスベンで行われたニュージーランド代表とクインズランドとの試合であるとも記録されている。

想像するに、実際はニュージーランドやオーストラリアで既に背番号は広まっていたのだろう。それがオールブラックスによって欧州へもたらされ、英国人にとってはじめての背番号つき試合が歴史に現れたのではないだろうか。(そうであれば、最初の試合はウェールズ戦ではなくスコットランドとの遠征緒戦でないと不自然ではあるが)

いずれにしろ、欧州においてこのスタイルは1900年初頭の時点では定着しなかった。彼らの歴史に次に背番号が登場するのは、1922年にカーディフで行われたウェールズとイングランドの試合である。ファイブネイションズではじめて背番号をつけて戦われたゲームで、欧州中心のラグビー史においては一般に「はじめて背番号が用いられた試合」ということになる。

それもスコットランドの強い反対(「パリ, 狂熱の元旦(後編)」参照)などでスムーズにはいかなかったが、1930年代半ばには国際試合において両国が番号をつけたジャージを着ることは、当たり前になっていった。

だが、この頃の番号は現在のようにポジションと対応したシステムには未だなっていなかった。そもそも初めて番号がつけられたニュージーランドとクインズランドの試合ではフルバックが1番で、そこからスクラムハーフまで番号が下り、ここで先頭に戻ってプロップが8番、最後にNo8が15番を背負うという順であった。(なので当然ながら当時は「ナンバー・エイト」とは呼んでいなかったであろう) これは、ラグビーリーグのスタイルとほぼ同じである。この方式は1950年代に何故か復活し、イングランド、スコットランド、ウェールズなどで一時期使われていた。

1960年代以降、国際試合においては、ようやく現在のスタイルに統一されていく。しかし、クラブチームにおいては相変わらず自由な番号付けが許されていた。Bath や Richmond では 13 を不吉な番号として忌み嫌い、アウトサイドセンターを14にしてフルバックが16をつけるようにしていた。そして Bristol と Leicester Tigers に至っては、番号の代わりにアルファベットを背中につけるスタイルであった。この理由については諸説あるが、やはり不吉な 13 を嫌って番号ではなくアルファベットにしたとの話も有力である。更に、両チームは異なったアルファベットの振り方をしていた。

入り乱れるアルファベット

さて、話は戻り 1983年の John Player Cup である。これは後の Anglo-Welsh Cup で、現在はスポンサー名を冠して LV=Cup と呼ばれている、歴史あるカップ戦だ。イングランドとウェールズのクラブチームが頂点を賭けてトーナメント戦を戦う。この年の決勝は、異なった方式で背中にアルファベットを背負う2チームの対戦となった。

当時のパンフレットを見ると、観客は混乱しなかったのだろうかと心配になる。

面白いことには、中央のポジション名には「No.8」という記載がある。Bristolでは”N”、Leicesterでは”G”をつける2人の選手は、ポジションとしてはやはり「ナンバーエイト」と呼ばれていたようだ。

1979年から81年まで大会を3連覇している Leicester に対し Bristol は1973年の2位が最高。しかし、この年は移籍2年目のイングランド代表フライハーフ Stuart Barnes の活躍もあり、10年ぶりの決勝進出を果たしていた。彼の働きは Leicester の3連覇を支えたベテランフライハーフ Les Cusworth と対比され、国を代表するフライハーフ同士の対決として大いに注目を集めた。同ポジションの対決は、いつの時代も、どのスポーツでも、メディアにとって盛り上げやすい魅力的な材料だろう。両者が異なった文字を背中に背負っていたこの試合には、どのようなラベルがつけられたのであろうか。

試合は 28-22 の僅差で Bristol が勝利し、初の優勝を飾った。そして残念ながら、どのチームも同じシステムで背中に番号を背負うようになった現在に至るまで、これが唯一の優勝となっている。

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-- Posted by nao58

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