パリ, 狂熱の元旦(前編): 快挙と暴動
「フランスのラグビーファンはイカれてる」
これはフランスがラグビーの国際試合に参入してきてから、合言葉のように英国ジャーナリストの間で使われてきた言葉であった。殊に1910年からファイブネイションズとなった大会にフランスが参入してからは、そのイカれぶりは更にヒートアップする。
何より協会やメディアを悩ませたのは、彼らが – その熱狂ぶりとは裏腹に – ラグビーの複雑なルールを、よく理解していないことでもあった。
当時のラグビーファンの多くは、ゲームとしての試合を楽しむというよりも、「屈強なフランス人が、いけ好かない紳士ぶった英国人をクシャクシャにする」ところを見たいがためにスタジアムへ詰め掛けているようなところがあったようだ。
実際、1952年の南アフリカによるフランスツアーでは、観衆が感情的になって暴発することを恐れた仏ラグビー協会によって、裏面にラグビーのルールが記載されたチケットが発行されている。どの程度のルールが記載されていたのかは不明だが、これによってラグビーのルールは”情熱”だけでないことに気付いたファンもいた…という、フレンチジョークであるかも定かでない話もあったという。これより半世紀近く前の観衆がどのような感じであったのかも、推して知るべしであろう。
はじめての快挙
1911年、フランスのラグビーファンを狂喜させる快挙があった。参加2年目のファイブネイションズで、ホームネイションの一角であるスコットランドから国際試合初勝利を挙げたのだ。場所はパリ、1月2日のことであった。
この勝利がフランスでのラグビー人気を沸騰させたのは、実はこれがフランスにおける「英国からの初勝利」であったからでもある。ラグビーに限った話ではない。サッカーなどを含めた、およそ全てのナショナル・スポーツにおいて英国から初めて勝利を奪ったのだ。愛国心溢れるフランスのスポーツファンは、こぞってラグビーに熱中した。
16-15の1点差でフランスが逃げ切った時、フランス国民にとって「パリ、ニューイヤー、対スコットランド」は忘れられない思い出になった。それはフランスをして非英国文化圏として異例のラグビー先進国たらしめ、現在世界最強国の一角へ押し上げる道筋のつけられた日であったのかもしれない。
再現への期待、落胆
その2年後の1913年、フランスはファイブネイションズの開幕戦を、再びスコットランドと行う。場所も同じくパリ、日付は1月1日であった。入場料は当時非常に高額の4万フランに設定されたが、快挙の再現へ期待を高める観衆は2万5千人にのぼった。
審判はイングランドラグビー協会の J.M.Baxter。公平を期して第三国からのレフェリーであるが、フランス人たちにとってはスコットランドもイングランドも同じ英国人であり、憎き敵の一味である。
この日、 Baxter は度々試合を止め、厳格にルールを適用していた。噛んで含めるようにルールを選手達に説明する時間が多くとられたが、その殆どはフランスの選手達に向けられたものであった。ルールをよく理解しない観衆が苛立ってくるのが、フィールドにいても伝わってきたという。試合は 21-3 でスコットランドの完勝。試合中から徐々に充満されていった群衆の怒りは、大量配置された警官隊をもってしても抑えられそうになかった。
試合終了の笛と共にグラウンドへなだれ込む暴徒化したファンから審判を救ったのは、フランスのウイング Pierre Failliot であった。十種競技の五輪代表であり、フランスの400m走記録も持つ優れたアスリートである。(右写真)
彼は試合終了と同時に審判へ駆け寄ると、素早くフィールドの外へ連れ出した。そして一目散にスタンド裏のタクシー待合場へ向かい、彼をパリ郊外まで避難させたのだ。彼の機転がなければ、この英国人審判はリンチにあっていただろう。
一方で、状況を全く理解できていない選手もいた。スコットランドのフルバック Walter Dickson は難聴であり、試合中に高まっていたフランスファンの怒号が意味するところを掴めていなかったのである。試合終了間際、彼はチームキャプテンの Charles Usher に、次のように声をかけたという。
「フランスのファンはこんな風に(大歓声でチームを励まして)敗戦を受け入れるなんて、素晴らしくスポーツマンシップに溢れているじゃないか」
群集が押し寄せるのを見た彼はようやく状況を理解し、真っ青になって控え室へ逃げ込んだという。
断絶
この試合での惨状に憤ったスコットランドラグビー協会は、今後のフランスとの試合を拒否することを発表する。翌年のファイブネイションズではスコットランドとフランスの対戦は行われず、イングランドが「4戦全勝で優勝」したのに対して、この2チームだけが「3戦全敗で最下位」という奇妙な成績が残されることとなってしまった。
この後、第一次世界大戦勃発によるファイブネイションズの中断などもあり、1920年まで同カードは実現しなかった。大戦終結後に7年ぶりに実現した両国の対戦は、奇しくもまた「パリ、1月1日」であった。(後編「恢復する傷跡」へ続く)
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-- Posted by nao58








