







去る9月17日、ニュージーランド・イーデンパーク。アイルランド代表が、オーストラリア代表・ワラビーズを下す番狂わせを演じました。スタジアムを包む”Ireland’s Call”の大合唱が、ここが彼らの祖国から遥か離れた地球の裏側であることが信じられないほど、力強く彼らの代表を鼓舞したと感じます。自分も観客席で、一緒になって歌ってしまいました。
ラグビーでは多くの国が、ああした「アンセム」を持っています。スタジアムやバーで合唱する彼らを見ると、「ニッポン、チャチャチャ」しかない自分たちとしては羨ましくなります。 (続きを読む…)
ラグビーファン、殊にオールブラックス好きであれば、一度はその名前を聞いたことがあるだろう。
「ジョージ・ネイピア (George Nepia)」
有り余る才能を持つ天才フルバックは、ニュージーランド(特にマオリの間)で最も人気のあるラグビー選手のひとりだ。
若くして「世界最高」の勲章を手にし、幾分ロマンチックな物語で彩られた彼の人生は、決して単純な輝きで満ちているわけではなかった。 (続きを読む…)
彼が話し終えた時、小さな講堂に集まった少年・少女たちの瞳は、一様に興奮の熱気を帯びていた。
彼は現在、アルゼンチンの小さなクラブラグビーの選手であり、スポーツに特化した旅行代理店の社員であり、モチベーショナル・スピーカーとしても世界各地で講演を行っている。
男の名前は、ニコラス・プエタ(Nicolas Pueta)。2007年にはIRBより表彰を受けた選手だ。しかし、そんな彼の名をアルゼンチン代表やトップクラブのリストに、見つけることは出来ない。 (続きを読む…)
結局バイニマラマ率いるフィジー軍は、当初のデッドラインであったスクナ・ボウルの日から4日後の12月5日、「浄化作戦」を決行する。この前日には警察本部を包囲し、事前に武装解除させることに成功していた。
この1ヵ月後、大統領を味方につけたバイニマラマは臨時政府の首相に就任する。そしてすぐに、その権限で臨時内閣を設置。そこにはインド系であることを理由に2000年クーデターで首相の座を追われたマヘンドラ・チョードリーなどの名前もあった。フィジー系、インド系を取り混ぜて閣僚に据えた、多民族主義政権がようやく樹立されたことになる。 (続きを読む…)
フィジーという国は先住民族のものだとして格差政策を押し進めるガラセ政権と、偏向思想の是正を求めるバイニマラマ軍指令の確執は深刻の度合いを深めていく。それは最早、一触即発とも言える状態であった。
彼らの反発の根本は、2000年のクーデターに対する思想的な是否であるとも言える。フィジー系民族に有利な政策、クーデター実行犯の恩赦を認めさせようとするガラセ政権のやり方は、あたかもあのクーデターを合法的に成し遂げようとするかのような行為である。そして、あの動乱を合法的に鎮圧したバイニマラマが、今回はそれを非合法な立場で行おうとしているのだ。 (続きを読む…)
現在、2011年ワールドカップのフィジー出場を巡って直接的に問題となっているのは、2006年に起きた4度目のクーデターである。
しかし、その問題が何であるかを知るには、3度目のクーデターを含むそれまでの流れを無視することは出来ない。
フィジーの政治と歴史について正確な記述をする知見は自分には無いが、1987年の2度にわたるクーデターから2000年の3度目、そして4度目に到るまでの間にフィジーで何があったのかを、ざっと見ていきたい。 (続きを読む…)
突如勃発した軍事クーデターにより、フィジー代表のワールドカップ出場は全く不透明になってしまう。
ニュージーランドのワールドカップ事務局はフィジーへの連絡を繰り返し試みるが、連絡手段は閉ざされ状況の見えない状態が続く。
大会を目前にして、運営側も決断を迫られつつあった。フィジーの参加に見切りをつけ、リザーブの西サモアを呼ぶかどうかである。 (続きを読む…)
1987年の第1回ラグビーワールドカップ。天性のバネと自由奔放なプレースタイルから「フライング・フィジアン(空飛ぶフィジー人)」などと呼ばれ、世界のラグビーファンを魅了したフィジー。
しかし、この大会の直前まで「フィジーは飛ばないかもしれない」と心配されていた。それはフィールド上の選手たちの問題ではなく、不安定な政情によるものである。
そして2011年の今、同種の問題が起きようとしている。 (続きを読む…)
2011年ラグビーワールドカップが、いよいよ近づいてきました。チケットも発送になって、ファンのテンションも上がりっ放しです(自分のところにも土曜の午前中に届いたようなのですが、不在にしていたため未だ手にできておらず…楽しみです)。
先日は、Facebookのファンページで大会への熱い想いを競い合うコンペティションがありました。優勝は、開催地ニュージーランドのお父さん。賞品はNZ$1,000相当のオフィシャル・ワードローブだそうで。どんなものなんでしょうね。
ちょっと、ご紹介。 (続きを読む…)
こうしてドワイヤー率いるワラビーズは、頂点の座を掴んだ。徹底した勝利への準備と、その遂行。この時の彼らを「勝つべくして勝った」と表現することは容易い。
しかし、何しろ世界最高峰のネイション同士が、威信をかけて激突する祭典である。殊にアイルランド戦以降の3試合は、オーストラリアにしてもまさに「紙一重」の差をモノにしたと言えるだろう。この僅かな差が、果たしてどこから来たのか。
後から理由を探すことは簡単だが、それでも自分はコーチングに勝因を求めたくなる誘惑に抗えない。 (続きを読む…)
「正直なところ、楽勝だと思っていたよ。」
歓喜よりも、疲労困憊といった顔で会見場に現れたドワイヤーは語った。
「その油断と勘違いのツケは、取り返しのつかない大きさになるところだった。」
未だに語り草となっている、91年ワールドカップ準々決勝、ダブリンでのアイルランドとの一戦を終えた後のことである。
この試合で奇蹟的な逆転勝利をもたらしたものこそが、ドワイヤーが地道に積み上げてきた準備の成果に他ならないだろう。 (続きを読む…)
こうしたドワイヤーのビジョンの下、チームは賜杯に向けて着々と準備を重ねていった。それは選手たちにとって、自信を深めていく作業でもあった。
前述したオールブラックス戦の勝利後、チームは短いオフに入っていた。成長してきた若手が必要なポジションを埋めはじめ、チーム力は着実に増してきている。選手たちは翌年に迫ったワールドカップに向けて、最後の英気を思い思いに養っていた。
そんなある日、ワラビーズのキャプテン、ニック・ファージョーンズは、旅行先のホテルで部屋の電話が鳴るのを聴いた。 (続きを読む…)
ドワイヤーの理念の中の重要な要素として挙げられるのが「クリティカル・ノンエッセンシャル」という考え方であった。
そのまま訳せば「必要不可欠ではないが、極めて重要なもの」であろうか。
ラグビーで勝利するために必要な、極めて本質的なもの…たとえばパワーやスピードといったフィジカルの強さ、あるいはスキルやテクニック、戦術などは、直接的に必要な「エッセンス」である。では、「クリティカル」で「ノンエッセンシャル」なものとは、一体何であろうか。 (続きを読む…)
ドワイヤーの理念からすれば、各選手に必要な要素はシンプルに3つであった。スピード、パワー、戦術理解。彼の理想は、これらを備えた選手を各ポジションに配置することであった。
若く可能性のある原石を選び出し、磨き上げた、ドワイヤーとAISの方針は奏効し、幾多の名選手がこの時期に花開いていくことになる。しかし、チームには勢いだけでないしっかりとした支柱が必要である。幸いなことにこの時、ワラビーズは3名の突出した選手を擁していた。豪州ファンから “Holy Trinity” と讃えられる、逞しい3本の柱が。 (続きを読む…)